また、八月がやってきました。
お盆と終戦日が同じですので、
気分も暗い八月です。
父は、志願兵になろうとしているところへ、終戦を迎えたそうで、
戦地へは赴いていません。幸運だったと思いますが、
直後は、価値観が一変し、良く分からない中で過ごしてきたようです。
戦時の記憶を持った方が、少なくなりました。
よく生き抜いてきたと思いますが、
生きようとする思いが、そのまま生きる目的となることも
あるかもしれない、と思います。
母が亡くなり、父は呆然として過ごす毎日でした。
母が死を宣告されてから、何を聞いても耳に入っていなかったようでした。
今では、心療内科やカウンセラーなどに相談するところですが、
そういう場もなく、考えもなく、
母の存在には到底及ばない娘たちが、傍で一生懸命支えていました。
それが、ある時から、俄然、元気になったように思えました。
それは、父自身が、根治できない病を宣告されてからでした。
母の存在を失い、生きる目的が見えなくなった父は、
自分が生きる、という目的を得て、元気さを取り戻した…
というように見えました。そうだったのだと思います。
あの時に、教会へ行っていたらと、思うこともあります。
しかし、当時の教会に連れて行ったとしても、逆効果だったでしょう。
教会にもいろいろあることは、事実です。
残念ですが、教会によって違うということは
認める必要があると思います。
父は、最期まで、生きる望みを抱いて、
皆から感心されるほど元気に、前向きに、
病気と闘って、逝きました。
生きるための命、それもいいかもしれないと思います。
ただ、願わくは、
信仰をもって歳晩を過ごしてほしいと、
全ての方に、思います。