造花

コロナ以前より、

お見舞いの生花は遠慮してください、

と言われていました。

衛生的な観点からです。

ですから、病院では、気の利いた造花やブリザートフラワーなどが売られています。

たしかに、プラスチックケースなどに入れられていれば、

消毒もしやすいですし、コロナ時代にも適しているでしょう。

姉が股関節の手術をしたときも、そういうお花をいただきました。

今でも、ふと言います。

「嬉しかったな~」

病院の時間は長いですし、お花を見ていると、

気持ちが安らいだと言っていました。

贈ってくださった方は、教会の方でした。

姉は、良い出会いを、心から感謝していました。

が、ある時から、関係が壊れてしまって、

教会の中でも、挨拶もろくに交わすことができなくなりました。

例の事件です。

「嬉しかったな~」

という言葉は、悲しみが語っていると分っています。

このままにはならないと思いますし、

徐々にではありますが、誤解が解けてきているように思っています。

が、まったく元には戻っていません。

姉は悲しんでいるのです。

 

誰も責任を取りません。

誰も謝りもしません。

教会とは、そんなところだと言われても仕方がありません。

私も謝られた経験がありません。

文句を言っても仕方がないのは知っていますが、

この煮えたぎるような思いは、時々湧いてきて、

心をかき乱してしまいます。

しかし、幸いなことに、私には信頼できる父があり、

いつもその思いを、その方に差し出して終えています。

神を畏れてください。

これは、どういう意味かお分かりですか。

 

私は、教会を教会として取り戻したい。

この罪は、絶対に許さない。

復讐ではありません。

教会は、神様の掟を取り戻さねばならないのではありませんか。

いつまで弱い羊を追いこんで、痛めつければ気がすむのですか。

……この感情も、ゆだねてしまいましょう。

後は、主がなさることでしょう。