自由に詠む

俳句の初心の方は、まず、写生を学ぶべきです。

写生は、俳句の骨子ですので、

これが無いと、骨抜きになります。

俳句は散文ではありません。

大変、短い定型詩ですので、余計な文言は入りません。

といいますか、入れない方が端的に伝わります。

ですから、写生は基本となります。

ただ、例外は何処にもあります。

型破りという言葉通り、写生もそれを超えて、

秀句が生まれることは、確かにあります。

しかし、それは、確信を以てそのような表現をするのであり、

むやみに感傷的であったり、感情的であったり、

そのような俳句は、俳句ではありえません。

「俳句は、散文ではない」

これは、かの大峯あきら先生の言葉です。

本質を言い得ており、心に留めおくべきでしょう。

そのうえで、自由に詠むという努力をします。

俳句で自由に詠むためには、かなりの語彙力が必要になります。

そのことが、最近になって、ようやくわかってきました。

自由とは、形無しではなく、型破りを含むという意味であり、

心を写すという表現力です。

自由に詠みたい。

そのために、日々、努力の積み重ねです。

表現を鍛えることは、人として普通の事です。