九月尽

今月は長かった・・・

時間が長く感じるのは、慣れないことをしたからでしょう。

慣れない時間を過ごした一か月だったようです。

八方手を尽くして、ほとんど綱渡りのような状態でした。

が、まだ生きています。

その中で、浮上してきた問題があり、

これは、偶然分かったことですが、

大変、ショッキングなことでした。

私はキリスト者ですので、主の御手が、

この中にも必ず働いているとの確信のもと、

なんとか踏みとどまった、という感覚でした。

まだ、はっきりとはわかりませんが、調査中ですが、

大変な事実が出てくるかもしれません。

演繹的に考えたならば、ある一つのことが言えるので、

そう考えれば、すべてに納得がいきます。

しかし、確たる証拠は、まだ出ていません。

途中、心の張りがぷっつりと切れたようになり、

茫然と過ごした時間もありました。

今も状況は少しも変っていませんが、

若干の希望の光が見えてきた、かもしれません。

人生、晴れの日ばかりではありませんが、

嵐ばかりでもありません。

必ず回復するときが来ます。

辛い一か月でした。

それでも、扉が閉ざされるたびに、

御心はここにはなかったのだ、と思い、

向き直って、進んできました。

それは、この問題を炙りだすためだったかもしれません。

また、主の御手にゆだねて、日々過ごすことができますように。

心の弱い者ですが、試練は訓練と受け止め、

緩やかにでも向上できるように、頑張っていきたいと思います。