Wonder//

よく言っておく。

最後の一クァドランスを支払うまで、

決してそこから出ることはできない。

 

支払わねばならないこと、それを免除されないことは、大変な驚きです。私たちの負債は、どれだけになるでしょう。しかし、支払ってくれる「天の父」があると、放蕩息子の私たちは思っています。お願いすれば、なんでも許してくださる父で、負債も喜んで払ってくれる「父」です。

そんなこと、あり得ますか。そんなこと、あてにしていいでしょうか。

天の父は、その代りに何をしたのですか。「代償」を軽んじる子供は、それでいいのですか。その代償の「効果」は何時ですか、という子供達。いつですか。財産分与ならば、あなたが死ぬのを待っていられません。今、分けてください。と言わないでしょうか。

エスのたとえ話では、最後には戻ってきた息子を迎える父の姿があります。イエスのお話は、すべて、悔い改めを促すためのもので、甘えていいとは言っていません。天の国とは、このようなものだ、ということでしょう。だから、何もしなくていいとは言っていません。主がお望みになるのは、「悔い改め」であり、その実は「実践」です。実を見て木を判断すると書いてあります。