主の望まれること

御利益を求めているわけではありませんので、

試練も試練として、受け入れていくのが

キリスト教徒です。と、思っています。

困難があっても、逃れる道も備えてくださっていると

聖書には書かれています。

今日は、我が姉妹と語りあいました。

といいますか、議論しました。

いつも議論です。

信仰をもつと、不幸が訪れても喜んでいないといけないのかと、

苦しそうに文句ばかり言うので、

その解釈が間違っていて、

間違うのは、聖書を読まないからだと言い返しました。

かなり嫌な顔をしていましたが、

だから、

いつも喜んでいなさい。

喜べないときは、祈りなさい。

試練は必ず去るのだから、先に感謝してしまいなさい。

と、聖書の言葉を若干補って伝えましたら、

少しは落ち着いたようです。

補うといいますか、ゆがめていないか心配しています。

聖書には、

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。

すべてのことに感謝しなさい。

これがキリスト・イエスにあって、

神があなた方に望んでおられることである。

と書かれています。

神様が望んでおられるのなら、実践しましょう。

無理に喜べとは言いません。

自然にそのようになります。

なぜなら、神は愛、だからです。