針の穴

天の国へ入るにはどうしたらいいでしょうか?

そういう質問に、イエスは答えてくださいました。

そして、

お金持ちが天の国へ入るより、

ラクダが針の穴を通る方がやさしい、

とお答えになりました。

ほとんど不可能だということでしょう。

そして思います。

貧しさから救いに入る方は多いのは、

それだけ気づきが与えられているからで、

お金持ちが救われるのは、特別な恵みであるだろう

ということを、です。

そして思い出しました。

あの老人は、最後、誰よりも貧しく小さなものとして、

天の国へ召されました。

これは、あるいは、大いなる恵の業であったかもしれません。

もちろん、これは、ある意味ではそうだったかもしれない

ということです。

主は、最後、大いなるご計画の中で、

全てをお取り上げになり、当人の意思とは関係なく、

その道を歩ませられたのかもしれません。

人には選択肢がなかったにも関わらず、

そうするしか術がなかったにも関わらず、

よくやったと褒めてくださるように思いました。

よくやった、あなたの信仰があなたを救った…

そうおっしゃったときと同じまなざしで、主は

老人を天の国へ迎え入れられたのでしょう。

その時、

「ああ、神様はすべてご存じやった」と

自分の苦労なんて大したことはない。

ほんの半年、暗闇でみじめにすごしたけれども、

そのあとの救いに比べれば、ほんの一瞬でしかなかった。

主の大いなる愛の中にいることを信じて歩んで

間違いはなかった・・・

そう言って喜びの涙をながされたことでしょう。

神様は、その涙を拭ってくださったに違いありません。

そうするしかなかったのに、

主は、「よくやった」と褒めてくださいます。

そうしたとき、不完全な私たちは初めて謙遜を学び、

あなたこそ神です。

言われたことをしただけです。

そう、言えるのではないでしょうか。

我が人生は主のもの。

長老、きっと、今頃は笑顔ですね。

私もその天の国を目指して、今しばらく苦労はありますが、

主の大いなる愛の中にいることを信じて、

信仰をもって歩んでいきたいと思います。