私は歴史が好きで、歴史を学びました。
なぜ好きなのか分からないでいましたが、
流れて去ってゆく「時」と、
一生懸命に生きる「人」の姿が愛しいのだと気付きました。
同じ場所に立っていても、時が違えば出会うことはありません。
その不思議が私をとらえています。
そして、ときどき思うことは、
神様も人を、そのように愛しく思っておられるのではないか、
ということです。
頑張って一生懸命にこの世と格闘している人を、
主は、目が離せないほど愛しく思っておられると思います。
そして、その目線をときどき自分に向けて、
自分に優しくしてみます。
よく頑張ってるね、えらい、えらい……
などと語りかけています。
予期せぬことが起こってくる世の中です。
些細なことから、大きなことまで、
つぎつぎ襲ってくる世の中です。
泣きながら、笑いながら、
失敗しながら、私たちは前へ進みます。
よし、頑張れ、負けるな、大丈夫だ!
という声を聞きながら、
私たちは立ち上がります。
なぜか、立ち上がり、歩き出すことができます。
その姿が、たまらなく愛しいと思いませんか。
そして、人は、珠玉の言葉を生み出します。
その経験から、言葉を賜るのです。
人は、それを書きとどめることができます。
蓄積させることができます。
今、同じ場所に立ち、かつてそこにいた人たちは、
既に去ってしまっていますが、
私たちは、言葉を交わすことができます。
これこそが、人に与えられた知恵、
動物にはないものです。
この関りが、とても好きです。
私は、この思いを動機に、歴史を学びました。
また、これからも学んでいくこととと思います。