変ったこと 変わらないこと

今、改めて「教会の外の世界」に触れているような、

再びその中へ歩いているような気がしています。

かつては、そこしか知らなかったのですが、

今は、信仰を得て、教会の世界の中に生きている者にとって、

そこは、かつてと少しも変わることがなく、

熾烈で、虚飾に満ちていて、弱肉強食そのもののように思います。

まさか、そのように考えていないでしょうね。

人を人とも思わないような、そんなことを考えていないでしょうね。

と、心が問うていますが、実際、今の私が当然と考えている価値観は、

そこには微塵もないように見えます。

なぜ、私はここにいるのだろう、と思いますが、

これも世間の現実であるならば、私は無視してはならない、

そのように告げられているのかもしれません。

私は迎合しません。

しかしながら、無視するわけにもいかないのかもしれません。

世間には救いが必要だからです。

人として、当然、持たなければならない「信仰」を、

彼らに知らせねばならないからです。

人は、ジャングルのような世界に生きることはできないでしょう。

被造物として、心のどこかに神を慕う「種」を持っており、

それがいつか芽を出すように、時と場所が決められている、

私は、そう信じています。

人から、最もみじめに見える者たちは、教会にたくさんいるでしょう。

飾らず、強がらず、しかし喜びに満ちている、不思議なものは、

教会では普通の人たちです。

教会に、人の正しい姿があります。

教会に、安らぎがあります。生きる目的と使命、喜びがあります。

これを知り、私は変わりました。

主を知らぬものは、未だ、世間でもがいているのでしょう。

世間は、まったく変わっていませんでした。

居心地が悪いのは、私が変わったからです。

祈り、願わねばならないのでしょう。

今、このことを知らせてくださった主は、

私に何を求めておられるのでしょうか。

世の中はジャングル。人は狼のようです。

主よ、人に人の心が戻りますように、

十字架をいただく者を、教会を用いてください。

すべてのキリスト者が、強くされますように、お祈りいたします。