事実と想像

これは、どうなのでしょうか。

事実は事実として踏まえて、

また、出典をあきらかにして、つまり

直に聞いたことだとか、本に書かれているとか、

インタビューの録画を見たとか、それは、

示さないといけません。

そのうえで、想像できる範囲、考えられる範囲として、

自身が考えたことを考えたこととして、述べねばなりません。

想像と事実とが区別なく話されているようで、

これでは、さすがに聞いていられませんし、

聞きたくなくなりますね。論外だと言わざるをえません。

どうなのですか?

古代イスラエルでは、婚姻の際、女性は持参金が必要だった、

あるいは、それが一般的だったということでしょうか。

しかも、母親が用意をするという、

現代日本的に言えば、箪笥や服や、電化品など、

母親と見て回り、選ぶように、

古代イスラエルでは、母が持参金を用意したと聞こえました。

当時、女性は働くことができたのでしょうか。

自分の無知さに気付きもしましたが、どうなのですか。

労働賃金10日分の所持金、それは貧しいのですか。

「貧しい」との定義は、「今日食べるものがない」

ということだと聞いたこともあります。

山上の説教の「貧しい者」とは、そういう人たちだと聞きました。

「貧しい」と「豊かではない」も違います。

それとも、あのたとえ話の背景に、そのような事実があると、

どこかに書かれているのでしょうか。

ならば出典をあきらかにしてほしい処です。

これは……あなた、どう思います?

もっと言いましょうか。

想像と黙想も違いますよ。

これでは、誤解が生じます。

もう少し、文章構成を勉強された方がいいのではないですか。

困るのは、末端の私たちです。

もっと危機意識をもって、お考えください。

優しさとは、甘いことではありません。

厳しいものです。

その模範をお見せくださるように願います。