目的

今、また少し、考古学に触れて、かつてのことを思い出していました。それは、卒論で各地の貝塚の資料を漁っていたときのこと。この辺り、つまり日本海側では、貝塚は少ないのですが、それでも全くないわけではなく、それらを各担当者などに質問するのですが、「○○貝塚について調べています」というと、必ず「目的は?」と聞かれました。その言い方も特徴的で、面白いと思って記憶しています。

「目的は?」端的な物言いです。さて、この近所では、今日は新たな動きを見せていました。私が教会へ出る時、隣の婆さんが出て来たり、その向うの親父が車をあからさまに待機させていたり。私が戻ってからは、ゴミ出しもしない右隣のお姉さんが、愛想よく「こんばんは」と出てきて、また引っ込んだり、普段は愛想もない人間が、にこやかに挨拶をしてくることを以てしても、これは非常事態です。つまり、彼等の目的は、多分ですが、私の車のナンバー把握かと。ようやく車が変ったことに気付いたか、それとも指示があったか。おそらく指示でしょう。

では、その指示を出した連中の目的は何か、これが分かりにくいのですが、私の推測では、人を動かして混乱させるため、だと思います。彼等は、すでに私のナンバーを把握しています。ですが、いまさら、そういう指示を出した、つまり、この辺りのモラルの無い連中に、その目的を与えたという理由は、混乱させること、迷惑行為でイラつかせるためだと考えたわけです。これまでも、そうでした。彼等は常に私を追いかけてきていましたので、どこにいるか把握していました。しかし、この近所の人間が把握していなかった場合、彼等を締めあげるのです。自分たちは情報を持っているにもかかわらず、です。これが、〇社のやり方です。

羊に狼が襲い掛かるようにすれば、羊は食われなくてもストレスに違いありません。ハイエナが群れてくるように、モラルの無いこの辺りの人間を、〇社が動かして、また混乱が始まるような予感。しかし、着々と時は過ぎていると思っています。いつまでも悪いことは続かないでしょう。

今日は久々にBBQをしていましたね。本年、初ではないでしょうか。私は、お金が動いたかな、と勝手に想像していました。飴と鞭。残念ですが、このようなことに、喜んで動かされるとは、よほど世界が狭いのでしょう。勉強しようと思えば、世の中興味が尽きることは無いのですが、疑問に思うことも、好奇心も探求心も、なにもないのですね。たぶん。そして時間ばかりがあるのです。この問題を解決するには、長い目で見て、教育しかないのかもしれません。分かりませんが。

面倒ですね。いろいろ。明日は、大変忙しい。わが慶應の試合もありますし、資料を作って出掛けねばならないですし、朝一で、外の仕事ですし。テキスト化はまだ。選句もまだ。そして肝心の、母の句の鑑賞もまだまだ。水曜日まで目鼻を付けねば。あ、それから、今後の事業計画も必要です。今回は、明確に言語化できますし、データもあります。ただ、情報を盗む人がありますので、ネットでは出しません。すべてリアルで対応します。しかし、それで十分です。

だいたい、人間関係でうそつきはいますが、その嘘が明らかになるのに2年程度を目安にしています。段々と矛盾はあらわになります。そんなものです。

例えば犯罪も、いつか明らかになり、迷惑行為も、その仕掛け人に、しっぺ返しが來るのは、必然です。不思議と、それはそうです。

あとは、自分が為すべきことを為し、平常心で過ごすことですね。必ず光はあります。もう、すぐそこに。