シェルターに記載

このブログは、誰にも知られていません。

私のシェルターです。

ですので、こちらに、例の記事を公開したいと思います。

これは、いざという時に、私の身を守ってくれるでしょう。

約一か月前、2020年6月末に公開した内容です。

事件は、6月28日(日)教会総会にて起こりました。

その内容についての見解を記載しました。

 

先日の教会臨時総会において、紛糾した内容を検討します。

 問題は、ある信徒Aの日常諸奉仕について、本人が希望していたにも拘わらず、長老会から何の連絡もなく、名前が削除されていたことに発します。日常諸奉仕は、教会員一人が一つ担うことが望ましいと牧師よりの呼びかけがなされており、教会員が希望し、長老会が承認するという形です。今回、Aさんは、一つの奉仕を希望していましたが、配付された奉仕分担表に名前がなく、長老会に問い合わせたところ、担当長老から電話をすると告げられるも音沙汰なし。揚げ句に、総会当日に、担当長老から「総会で質問するんでしょ。質問して。」と言われて、総会において質問しましたが、返答は「答えられません」と繰りかえすのみでした。納得できないAさんは再三発言し、個別でいいから返答をもとめましたが、長老会の決定で、回答はしないの一点張りで、さらには、何の関係もないと思われる引退長老H氏が、まるでA個人に問題行動があり、それによって信仰上不適切なため、奉仕させられないのだと発言する始末。総会はここでうやむやに終えられたため、Aが一方的に恥を受けて終わった形になってしまいました。

 H氏の発言は、現役長老でないため取り上げる必要はありません。また、もし事情を知っていたとなれば、それはそれで別の問題があります。が、今は取り上げる必要はないと判断します。

 ではなぜ、長老会がそのような結論になったのか。なぜ、理由を返答しないのかというと、それは、返答できないからというのが正しいと考えています。

 そもそものことの発端は、2年前、2018年11月の「ブログ事件」です。同じブロガーとして、私が相談を受けたとき、そのブログの所有者Bさんは、「一日に400を超えるアクセスがある」と怯えたように訴えてきました。「バグじゃない?」私は開口一番、こう言いましたが、そうではありませんでした。しかも、それは何日も続いており、一向に落ち着く気配がありません。Bのブログは、一か月に6記事ほどしか更新せず、アクセスも日に0~2程度。多い時でも30程度でした。普通、そんなものです。しかし、11月のある日を境に、日に400ものアクセスになりました。恐怖を覚えて当然です。そして、その後、教会から電話が入り、4か月に渡る騒ぎがあったわけですが、その多くが二次的に起こった問題であり、初動が悪かったために第三者を巻き込んで、ことを複雑にしてしまったというのが真実です。その第三者とは、大仰に言えば和解したということで、そこでそもそもの発端は何か明らかになりました。それが以下です。

 Bのブログ。2018年1月8日 全文です

凍りつくような朝、新年最初の礼拝がありました。
説教題は「世界は誰のものか」。
この世界をつくられた神は、そこに一人子を、愛する私たちのために贈られました。
しかし、その一人子イエス・キリストを、私たちが十字架につけてしまいました。
神にとってそれは、大きな裏切りです。
神は私たちに裏切られながらも、なお私たちを愛してくださるのです。
教会に通っていれば、よく耳にするところですが・・・
以前、私は耳のご不自由な方にずっと付き添って、俳句の筆記をしていました。
けれどその方は、俳句の筆記をしたことのないAさんに筆記をしていただいていると、吹聴しておられました。
その理由は、不明です。
いま、彼女の嘘が実現して、Aさんが俳句の筆記しておられます。
神さま、私も裏切られました。
私は体の具合がわるいときも、彼女のため、神からいただいた奉仕だと思ってやってきました。
でも、奉仕は自分を犠牲にしてまでするものではない・・・これはあまりにもショッキングなことで、牧師先生にもお話ししました。
今日の説教は、それも踏まえてのものだったのでしょう。
私は神ではありませんから、彼女を赦すことが困難です。
でも、神は私の思いをご存知なのですね。
説教の後、聖餐式が執行され、私の取ろうとしたパンがうまく切れていませんでした。
「そのまま、ふたつどうぞ」長老に言われ、私はパンを二切れいただきました。
それは、「私はわかっているよ」という、神からのメッセージのように思われました。
我らに罪を犯した者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。(「主の祈り」より)  

以上 

 まず、ブログが炎上したのは、2018年11月です。この記事は、2018年1月のものです。この記事に登場する「耳の不自由な方」が、この記事を大量にコピーをして、教会内で配ったことが、炎上の理由でした。まるで電話帳のように大量に持っていたと見た方が証言しています。しかし、内容を見れば分かるように、これを本人が他人に言いふらすのは、明らかに自身を蔑む行為ではないかと思うわけです。普通ならば考えられません。しかし、ご承知の通り責任能力のない方ですので、これはこれで受け止めるしかないのではないかと考えました。実は、二人とも私たちの句会へ出席されていた方ですので、日本語の能力は、大体承知しています。このコピーの配付に至る理解力において、仕方がないだろうというのが、私の見解です。

 そこで疑問が生じました。電子辞書も操れない、ガラケーもやっとの人間が、どうやってその記事を知るに至り、どうやってコピーをしたのか。これは重要です。しかも、公開から炎上まで時間的なずれがあります。第三者の関与は否定できませんでした。Bは、話し合いの場でも、何度も質問しています。「誰がこのブログを知らせ、コピーを持たせたのか」これは、本人も話そうとしませんでした。未だに知らされていません。

 普通にしていれば、この方の目に触れるはずはありません。この方へ、Bのブログの存在を知らせた人物は、このブログをも監視に近い形で訪問している人物だと推測したうえで、あえてここに記そうと思います。その人物が伝えなければ、この記事も問題になるはずがありません。訪問客は他に多くはありませんし、ほぼ関係者です。あなたの良心にゆだねて書き記します。

 その「耳の不自由」な方は、若い頃、驚くほど早い段階で、手帳を取得しておられます。1級でした。ご一緒に新幹線に乗りましたので、間違いありません。しかし、長年、ご本人と御身内の方がその事実を隠してこられたために、教会内でもその事実を知る人は皆無に等しかったと思います。ご本人は、今でも難聴のふりをされているために、上記のブログに、「私の『耳が不自由』だと書かれているのは失礼だ」と、言いがかりをつけて来られたわけです。

 ご承知の通り、このようなご病気の方は、関り合いが難しくなることが、多々発生します。多くは、思い込みが激しいという表現になりますが、この方も例外ではありません。それは皆が承知していることです。この方に、Bのブログを教えれば、どういうことになるか、想像は難しくありません。それを教え、どこにも、誰のことかも書かれていない内容を、事細かに教えてコピーを渡すに至るとは、悪意がなかったと証明するのは難しいでしょう。その方のかたくなな申し出により、Bをはじめ、Aを含めた関係者全員が奉仕の役割を解かれました。日常諸奉仕を除いて、ではありましたが奉仕をすることを許されず、その時の理由は、「その方の気持ちが落ち着くまで」と牧師より伝えられました。

 話を臨時総会へ戻します。あれから1年以上経過しました。長老会は一切の説明もなく、日常諸奉仕すらさせないという結論なのだと理解しています。そして、その思い込みの激しいとされる病状の方に対して、数日前に、またコピーを見せていたということが解っています。それは、総会の後、ご自分で「見せてもらった」と豪語していたので知るに至ったわけです。

 繰り返し、問題を再燃させている人物がいます。奉仕を取り上げ、不快にさせて、教会から出て行ったとしても、それはそれで仕方がないと考えている人物がいます。責任能力の無い者を使い、問題を発生させるばかりか炎上させている人物がいます。総会の後、H氏の発言もあり、怒号が飛び、あわや殴り合いの騒ぎになるかという大混乱を起こしてまで、理由も告げずにAの奉仕を取り上げる必要が、どこにあったのでしょうか。これこそが、「教会がつぶれるかと思った」という事件ではないでしょうか。Bのブログ事件の際、長老会がBに告げた台詞をそのまま返しましょう。「皆の信仰が揺らぎ、教会がつぶれるかと思った」と。あなたの目的は何ですか。教会は、自己実現の場ではありません。

 今回、信徒Aは、理由を説明されず日常の簡単な奉仕すらさせてもらえないという事実は、今後の信仰生活に支障をきたすと述べました。それに対する対応を、誰もが見ていると覚えておくことです。長老会も馬鹿ではありません。そこに、どんなからくりがあったのか、それはご自身で告白されたらいいでしょう。唯一、牧師が「このことについて、話し合います」と言ってくださった、そのことに神様の御業を期待しています。

 

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