ようやく、神様を信じて生きる幸いが
分かってきたように思います。
神様にお願いばかりの祈りですが、
それが応えられないときは、信仰の意味がないのでしょうか。
そう尋ねられたら、答えます。
神様を知り、祈りつつ生きることができる、
それがすべて、結果は二の次です。
神様を知って生きるとは、こういう幸いだと言えます。
訴える方があること、
頼る方があること、
父と呼べる全能者に愛されていることを知ること、
それが、すべてです。
上手く言えませんが、
ただ、それだけで十分であり、
願うことに対する結果は二の次です。
それだけで豊かになれるからです。
ご自身より、私を愛してくださっているとは、
信じがたい幸せ、理想の愛です。
それが、存在すると知るだけで、人は変わるのではないでしょうか。
それが、ようやく分かってきました。
幸せです。
きっと、主を知らない方は、馬鹿みたいだと思うかもしれませんが、
馬鹿かもしれません。
馬鹿でも幸せなら、馬鹿でいいと思います。